不思議体験 「夢」③

 

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

前回からの続きです。

http://at-pom.jp/spiritual-sabian-2

 

私の誕生日、2月8日のサビアン、

みずがめ座20度は、

「見えない世界からの伝言を運ぶ」。

 

私は、夢に現れたチビから

「このことを糧に生きて」という

あたたかなメッセージを受け取っていたことを

思い出しました。

 

チビにもらったもの。

それは、たくさんの楽しい思い出。

当たり前のくらし、当たり前だと思っている生の、

かけがえのなさに気づくこと。

 

私は自分の夢見のもたらす

負だけではない側面に気づき、

「個人にも社会的にも役立つメッセージの担い手である」

という、サビアンの内容を素直に受け入れました。

 

サビアンは、占星術のなかでは異質のものです。

興味のある方は参考にしてみて下さい。

http://nut.sakura.ne.jp/wheel/sabian.html

私の持っている本では切り上げ計算なので、

太陽は水瓶座20度ですが、正確に計算すると19度台になります。

前後1度ずつを見比べて、こういう流れの中の影響を受けているんだ、

と解釈すると、分かりやすいかもしれません。

 

占星術ではいろいろな情報を

多角多面的に読んでいきます。

ここでは省略しますが、

第六感を表すポイントは他にもたくさんあり、

私のみずがめ座20度は、ごく断片的な情報です。

 

でも、第六感に関して

今まであまり人にも言えず独りでもがいていた私は、

古代からの叡智である

占星術にそれが表れていることに、驚きました。

 

同時に、時空を超えて

とても大きなものの中に

自分がいるのだということを感じられ、

生を別の視点からとらえられるようになったのです。

 

その後、チビとは夢の中で再会しました。

「時間の窓」という名前が付いている窓があり、

光がサンサンと降り注いでいているその窓越しに、

私とチビが大喜びで抱擁しあう、という

幸せで明るい夢でした。

 

 

生と死は、この世でははっきりとしたルールがあり、

基本的に交流はできないことになっています。

それがあるから学べること、

感じられることがたくさんあります。

 

人の力ではどうにもならないこともあれば、

変えられるものもある。

生きていても、肉体が無くなっても、

人は一人ではなくて、皆つながっていて

人との縁も何かしら意味のあるもの。

 

そう思うことで、

生老病死が慰められ、

今ここの瞬間をよりよく生きることに

意識を向けることができる。

と考えています。

 

チビはそれきり私の夢には出てきていません。

私の中には不思議なくらい、

悲しい感情はありません。

探すと出てくるのは、

「ありがとう」の気持ちだけです。

 

さて、その後の私はというと、

予知夢は日常的に見ますが、

事件事故の類はあまり見なくなりました。

 

たまに、未来の地球かな?と思わせるような

見たことのない社会システムや風景を見ることがありますが、

こちらはただの空想かもしれません。

また時機が来たら、記事にしたいと思います。

 

メッセージ性の高いものは、夢からだけでなく

覚醒時にも受け取ることが増えてきたようです。

 

社会にどうやって役立てるのか?

と真剣に考えたこともありましたが、

今はそんなに気負っていません。

 

自分が感じたことを

人との関わりの中で

必要だと思えばお伝えすることはあります。

 

人はみんな、自分の感覚で感じたこと

体験したことをもとに

人生観が出来上がっていきます。

その表現方法も

人の数だけあるのだと思います。

わたしのこの体験も、その一つだと思っています。

 

大変長文になってしまいました。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

不思議体験 「夢」①

 

いつもブログをご覧下さりありがとうございます。

前回、誕生日の記事を書き、

皆さまからたくさんのお祝いのメッセージをいただき、

嬉しく感激しております。

 

そこで誕生日にまつわる、

あることを思い出したので書いてみます。

長くなるのと、スピリチュアルな内容なので、

ご興味のある方のみご覧ください。

 

2月8日生まれの私。

私は、子どものころから

いわゆる第六感が強い方でした。

 

具体的な例で言うと、

頭のなかに急に流れてきたメロディーを、

数秒以内に近くにいる兄妹や友人が

口ずさむことがよくありました。

(これはよく聞くので、体験した方も多いかもしれません。)

 

またあるとき、

立っていて急に足の付け根に痛みがはしり、

その場にうずくまりました。

その痛みはすぐに消えたのですが、

帰宅すると、

離れたところに住む祖母が

ちょうどその時刻ごろに受傷し、

大腿骨頸部骨折で入院したと知らされました。

 

このように、

自分以外の人の意識や、身に起こった出来事を

キャッチしやすい性質のようでした。

 

中でも一番際立っていたのは、

眠っているときに見る「夢」でした。

 

見る夢の大半が、

メッセージを含んだものか

予知的なものだったのです。

 

メッセージ性のあるものは、

知った人が出てきて何かを伝える、

というものから、

自分に気づきを促すような内容でした。

 

予知夢は、

身の回りで起こる他愛もないことから、

新聞やテレビのニュースになるような事件事故や災害など、

さまざまでした。

 

私は特に、この予知夢に悩みました。

家族に話すと、

「気のせい」とか「こじ付けている」、と言われ、

現実をしっかり生きるように言われていました。

明らかに予知夢であるときも

あまり触れないようにされていた覚えがあります。

 

今考えると、

自分たちが認識できないことに対し、

「危険」と感じ、

子どもの私をその世界から遠ざけたかったのかもしれません。

 

でも、私はそんなことは分からず、

「自分はおかしいのではないか」

「こういうことを感じる自分は、認めてもらえないのだ」

と、受け取り、

自己価値の低下が助長されていきました。

 

第六感があるというと、

その感覚を自慢しているように受け取られることもありますが、

決してそんなことはありません。

引き換えかどうか、

私は視力が弱く、音感も良くなくてオンチです(笑)

 

それに、一般的に音感に優れた人、味覚が繊細な人など、

五感が発達した人がそれをアピールしても

好ましい印象に捉えられるので、

私はそれが羨ましかったです。

 

私のそれはというと、

「気持ち悪い」

「見透かされそうで怖い」

「嘘なのでは」

などと言われることもあり、傷つきました。

 

 

だからあまり人に話さないようにしており、

説明するときは、

「みんなが持ってる感覚、虫の知らせが強い性質」

と言っていました。

 

友人の中には、別の出方で同様の感覚が強い人や、

面白がってくれる人、

親戚の中に同じような人がいるからわかるよ、と言って

相談に乗ってくれる人もいたので救われました。

 

成人後もそれは続き

ハッピーなことでは、

友人の結婚や妊娠がいち早く夢に現れました。

 

事件事故、災害の夢も相変わらず出てきました。

さらに勤務先が病院だったので、

翌日起こる患者さんの急変や、

緊急搬送されてきた患者さんの

具体的な外傷の状態まで見ることもありました。

 

喜び事は夢の雰囲気があたたかく気持ちよく、

自分が経験したことのない、当人の感情が入ってきて、

幸せな気分を味わえました。

しかし、後者はとても消耗しました。

 

あらかじめ情報をキャッチしたからといって、

事件事故で被害にあった方を救える何かができるわけでなく、

患者さんの急変は避けられません。

そんな体験を繰り返し、

何もできない自分に無力感を感じ、

なぜこのような夢を見させられているのか?と、

疑問に思っていました。

 

予知夢は、

明らかに他と異なる雰囲気を持っています。

私の場合、2つパターンがあり、

当事者の側で臨場感をそのまま感じているパターンと、

自分は参加せず、その様子を上の方から見ている、

というパターンがありました。

起きると夢を忘れていることもありましたが、

覚えている時は

それでも何か、事前に対処できることがあるのではないか、と考え

その内容をメモしている時期もありました。

 

あるとき、

愛していた猫が

わずか1週間の闘病の末、逝ってしまうという

耐え難い事故に見舞われました。

このときの出来事で、私の夢との付き合い方に

新たな気づきが生まれます。

 

まだ誕生日のことに全く触れていませんが、

長くなるので、今日はここで一旦終えます。

続きも読んでいただけたら嬉しいです。